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なにげに1週間分抜かしているのだが、気にすまい。
昨日、2年ぶりに健康診断に行ってきた。 自営業なので自腹でやらなくてはならんのだが、区のものだと確かに安いが見知らぬ医者に婦人科検診でデリケートな部分に触ってもらいたくないので、ちゃんと素性の知れた先生のところへ行く。以前、本の監修をお願いした女性の先生で、名が売れているわりにはたいそうフランクでちょっととぼけている。そこが好きなのだが。 身長、体重、血液検査、尿検査、乳がん検診、子宮がん検診、面談、といったメニュー。 まずは、乳がん検診のうちでマンモグラフィー。 乳をぎゅうううううううっとつぶして、レントゲンを撮る。あやしい影が映っていないかを調べる。 「はい、手でこの取っ手を握って、胸をここに当てて、顔はこっち、足はこの位置」 といろいろ指示される。 「はい、胸はさみますねー痛いですけどちょっと我慢してー」 これはほんとに何回やっても痛い。女性の技師さんが我が乳をぎゅううううっとひっぱって、機械でふんぬううううとつぶす。乳をひっぱられているときに、先生それは乳じゃないですほとんど腹の肉です、と言いたかったけど、けっこう真剣にやってくださているので止めた。 次に、先生と面談。 「身体の調子はどう?」 「とくに問題ないですけど、太りすぎです、かなり」 「そうなの? どれくらい?」 「前回の検診よりたぶん2キロは増えました」 「原因は?」 「…いろいろありますが、まあその…酒の呑み過ぎですか…ね」 「へえそうなんだー何呑むの?」 「なんでも呑みますが、主に日本酒…」 「あ、あたしね、この前佐賀でとっても美味しいお酒見つけちゃって、一升瓶2本も買っちゃったの、呑まない?」 「いやその…なんていう銘柄ですか」 「鍋島っていうやつ」 「あー聞いたことありますねー」 「日本酒はねえ、お水飲みながらだと、けっこう呑めるわよ、二日酔いにもなりにくい」 「ほうほう」 だんだん健康相談よりお酒相談になってきている。なってきてるよ先生。 「あたしはお酒呑むためだったら、なんでもやるけどなー。ウォーキングとか、やってみれば?」 あ、やっと健康っぽくなってきた。でも酒呑むためだけど。 そして、子宮がん検診にうつるのだが、経験した方はわかると思うが、それはもうあられもない姿を強要される。婦人科用の椅子があって、座ると後ろに倒れつつ両足をおっぴろげる体勢に。そうなりつつも、酒の話題を続ける先生。 「焼酎はどう?」 「あー焼酎は以前、たいへんな目にあって、その記憶がよみがえってきて駄目ですね」 「ふふふそうなんだーこのごろあたしは麦焼酎が好きなの、これも水飲みながらがいいわね」 と言いながらも、我が局部から細胞を取り、看護師さんはそれを受け取り何かに入れる。 「先生がおっしゃる水飲みながらっていうのは、私もわかります、翌日がラクですね」 会話に加わったりして。 ここは居酒屋かという和やかな雰囲気だが、あたしは大股びらき状態。 その後、股ひらいたまま、乳がんの触診検査にうつり、手を上に上げて、うっふんな格好になる。なんか、うんざりするような悩殺ポーズ。恥じらい。 「このごろウォーキングやっていてね、ちゃんとしたトレーニングの先生と一緒に歩いているの。来月はその後に寄り道してビール呑むの、そのとき一緒に来るといいわ」 誘われちゃったりして。 次に血圧。 これが驚きの高血圧数値で、看護師さんが驚いて、再度はかる。はかるが、ほとんど変わらずさらに驚く。すみません。うん、たしかに上が138、下が94て、かなりヤバイね。キてるね。看護師さんが途端に無口になって、深刻さがじわじわと身にしみてくる。 次に採血。 右腕も左腕も血管が出なくて、看護師さんがぴたぴたたたく。 「あーすみません、脂肪が多すぎるんですねー」 なんとかこの不穏な空気を打破したいと思ったが 「…それはあんまり関係ないです…」 冗談言ってる場合じゃねーという雰囲気。 ヤバイんだね? あたしの血圧、かなりのヤバさなんだね? さっきまで、股おっぴろげで酒の話してたんだけど、まったくもってそれどころじゃないんだね? 最後の説明のとき。 「結果の郵送はだいたい1カ月くらいかかりますが、その前に、緊急を要する場合は、すぐにお電話します」 とおっしゃる。もう明日にでも電話かかってきそうな勢いで。 なにやら重い荷物を背負った気分になったのだが、その後、約束もあったことだし16時半からスタートし、池袋→高円寺と移動してハシゴし、7時間だらだらと酒を呑んだ。 いちおう、醤油は最低限にし、水を多めに呑んだ。 #
by tetsuyome
| 2010-07-15 19:00
| 身辺雑記
ある日、『Number』を読んでいると「切歯扼腕」という言葉が出てきて、恥ずかしながら読めない上に意味の見当もつかない。こんな四字熟語は受験問題に出てこなかった。はずである。
いまの自分の日本語力は中学時代の毎週あった漢字テストと、大学受験時の苦手な現代文で確実に点数が稼げる四字熟語を邪な目的でひたすら覚えたのと、ATOK先生の上に成り立っている。現代文が苦手で日本文学科に在籍し果てはライターになっているのはどうしたことか。責任者に問いただす必要があるが、ここは不問に付したい。 件の四字熟語は「せっしやくわん」と読み、 せっし‐やくわん【切歯▼扼腕】〘名・自サ変〙怒りやくやしさのために、歯ぎしりをし腕を握りしめること。◇『史記』から。 とATOK先生はおっしゃっている。 と、自分でなんとか調べて己の学の浅さをこっそり恥じた上でさも当初から知っていた風を装えばよかったのだが、雪隠にこもって朝の瞑想にふけっている夫につい聞いてしまった。単刀直入なのもなんなので、当該記事の感想を述べたのちに 「ところでこの四文字なんて読むの? 難しい言葉使ってんねーナンバーも。読める?」 なんだその己の矮小なプライドを保ちたいがために出版社が悪いんじゃね的態度。 夫は息を飲む。雪隠の中で。 「なんだと? だいじょうぶかライターのくせに。それはせっしやくわんと読むのだ」 ライターをおとしめるのが仕事の編集者は顔をしかめる。雪隠の中で。 「はああ? せっしや……なんだって?」 あまりに未知な響きで、ライターは一度では聞き取れずに聞き返す。雪隠の前で。 「せ・っ・し・や・く・わ・ん! 悔しさのあまり歯ぎしりすること!」 今にも飛び出してきそうな勢いで編集者は叫ぶ。雪隠の中から。あの、尻はふいてください。 などという、屈辱なやりとりがあって以来、編集者はライターを脅している。 「ねえ、ライターである嫁がさ、切歯扼腕が読めなかったってさ、日記に書いていい?」 ことあるごとに、にへらにへら笑いながら、言う。 「なんだとーそんなの書いたら編集者である夫が『刷毛』を「さつもう」と読んだことをあたしも書くぞ」 とアタマの悪い応酬が続いている。 切歯扼腕と刷毛と、どっちがどうなのかよくわからんが、そんな不毛なやりとりにも飽きたので、先にこうして書いてやった。ふふん。 #
by tetsuyome
| 2010-07-05 23:26
| 身辺雑記
ある平日の夜、そのバーに客は3人。
ゆるゆると時間は過ぎ、もうすこしで日にちが変わろうとしていたころ、ドアを開けてひとりの女が入ってくる。 「あんなに好きだったのに! すごく好きだったのに!」 小さく叫びながらカウンターにつっぶして泣き始める。破られる静寂。 店内の空気が途端に張り詰める。マスターが女におしぼりを渡す。こういう場合でも少しも狼狽えることなく通常業務を遂行できるのがプロたる所以。 「なんか…やっぱり女がいて…おかしいなとは思っていたんだけど…このケイタイで連絡とってて…」 女の嗚咽まじりの告白が途切れ途切れに聞こえてくる。 そしてその件のケイタイを真っ二つにたたき折る。 折りたたみ式ではない、スライド式のケイタイを。ああ、折れるんだなあ、けっこう丈夫そうに見えても。ケイタイも、女心も。 そして15分ほどすると男がやって来る。 何やら叫びながら男は女を連れだそうとする。女は勢いづいて裸足で店を出て行く。ぺたぺたと哀しい足音が耳に残る。 取り残される客3人とマスター。 「…すみません…」 マスターがささやく。折られてただのゴミに成り果てたケイタイを手に、さすがのプロも呆然としている。 「ケイタイ、彼女が彼の分も払ってたみたいで…」 ああそりゃ折るよね、自分が金払ってるケイタイで別の女と連絡されてちゃ。 しばらくすると、ぺたぺたと足音をたてて女が戻ってくる。 どことなく先ほどよりはすっきりした雰囲気になっている。落ち着いてきたのか、自分のケイタイを取り出して、電話をかけ始める。 「あ、ケンちゃん、迎えにきて。いますぐ」 気丈な声が聞こえてくる。 うん、一刻も早く迎えにきてケンちゃん。どこか遠くへ連れて行って。 そんなこんなで、帰るタイミングを逃し、己の酒量も忘れ、酔っているのか酔いが覚めたのかもわからなくなり、気づけば午前3時を迎えていた。 女の熱き情念にただひたすら感服。もはやあのような修羅場を演出する甲斐性も体力も当方にはなし。なっしんぐ。思えば遠くへ来てしまったことを痛感いたしたで候。 #
by tetsuyome
| 2010-06-26 20:26
| 身辺雑記
6月23日は、沖縄慰霊の日だ。
本土にいるとあまり馴染みのない日ではあるが、沖縄県では公休日としていろいろな機関が休みになる。この日に沖縄にいたことがあったが、一般の店もけっこう休みがちで、いつもはのんびりのほほんしている地元の人が、けっこう真剣に祈ったりする姿を見てヤマトとシマの溝の深さを痛感した。 慰霊の日というのは、「1945年6月23日、沖縄戦の組織的戦闘が終結した」ことを記念した日。この「組織的戦闘が終結」というのは、沖縄戦の司令部の面々が戦うことをあきらめて自決したことで、え? そこなの? と思わなくもない。 記録では45年3月下旬から沖縄戦は始まり、4月1日にアメリカ軍が沖縄本島に上陸し、司令部が6月23日に消滅したことになっているが、8月15日の終戦を迎えるまで掃討戦は続いたといわれている。 慰霊の日の由来についてはまあおいといて、この日が来ると毎年思い出すことがある。 比較的ラディカルな思想をもつ父母の口ぐせは「沖縄に観光で行ってはいけない。まず戦争の爪痕の地を訪ねよ」であった。社会人になってすぐの夏休みに友人Mちゃんに沖縄へ行こうと誘われたときこの事情を話すと、そういうのも大切だねとつきあってくれた。 ラグジュアリなホテルやプライベートビーチなどを満喫したのち、ひめゆりの塔、摩文仁の丘、司令部があった防空壕などを訪ねた。 もちろん楽園気分は粉々に吹き飛んだ。 摩文仁の丘は、本島の最南端にあって、日本軍や沖縄の民が背後から迫りくる敵にパニックになって次つぎに海へ飛び込んだり自決したりした地である。いまそこは公園になっていて、平和の礎(いしじ)という、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前を刻んだ石碑が屏風のように並んでいる。 そこに、古い資料館があった。 外は陽気な太陽が照りつけていたが、館内は冷房もついていないのにひんやりしていた。沖縄戦の概要や、読んでも読んでも終わらない数の証言、遺品などが展示されている。 証言の数かずをつぶさに読んで、頭がぼんやりしていた。そのすさまじさが、あまりに膨大すぎて想像力が停止寸前だった。そして順路の最後のほうに、アルマイトの水筒がひとつ無造作に置いてあった。 「沖縄戦のときの水筒です。もうフタは開かなくなっていますが当時の水がすこし残っています。振ってみてください」 と説明書がある。だから手にとって触ってみた。 瞬間、自分の周囲が戦場になった。 あたりには焦げ臭いにおいが充満し、いたるところから煙が上がり、戦闘機の爆音が頭上をかすめ、あちこちに爆弾が落ちた音がひっきりなしに響き、そのたびに大地はごうごう揺れて、赤子が泣き叫び、人びとはあてもなく逃げまどっている。 あらゆるおぞましい音が耳にまとわりついてくる。 自分はただ呆然とひとり、その水筒をにぎりしめている。 暑いせいか、空気が淀んでいるせいか、息ができない。 思わず、水筒を放る。乾いた水音が耳にいつまでも残る。 よくできたシミュレーションなのかと思うくらいに、著しくリアルだった。 水筒本体の冷たさと、ちゃぷんという水音から呼び起こされる、聞いたことも、かいだこともないはずの、音やにおい。そして揺れ。 怖い。 なんのひねりもないが、そのときの感情は、ただ怖かった。無力で孤独で怖い。 なんでもすぐ忘れるたちだが、この戦慄の水筒体験は記憶から消えることはない。 数多の報道より、記録より、家訓より、なによりも自分にとって切実だった。 毎年6月23日には、あの水筒の冷たさと水の音と、それにまつわる切実さを確認する。 それが自分の身の丈にあった祈りだと思っている。 #
by tetsuyome
| 2010-06-19 17:00
| 未分類
三十を過ぎてからというもの、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。夫を陰に陽に支える結婚生活、仕事への精進、肉体の修練など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、陰に陽に夫から支えられる結婚生活、気分で選びまくる仕事、肉体の腐敗などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。
責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。 (以上、森見登美彦著『四畳半神話体系』からのインスパイヤまたはフューチャリングとかではなく、単なるパクリ) 問いただすまでもなく、すべての責任は自分にあるのだが、そうやってアタシはこれからは好きなことだけやって生きていくのさ〜という一見極楽なポリシーの上に成り立つ生活は、じつのところときどき虚しい。 ふだんは、ワールドカップワールドカップゆってるけど、いったいどんだけ巨乳なわけ?とイロモノをきどってはいるが、ひとりの夜にふとアタシの生き甲斐ってなんだろう……と今さらな自問の迷路に入り込み涙したりする。もといイロモノはきどるものではない。 『生活考察』という雑誌がある。 この春に創刊されたもので「“ある種”のライフスタイル・マガジン」であり、しかしながらスタイルの提案をするわけではなくむしろ放棄し、積極的に多様なスタイルにまみれてみること、そこから生活を考察していきたい、とまえがきにある。 その言葉どおり、円城塔、林哲夫、岡崎武志、春日武彦といった、あらゆる職業の方が自分の生活について書いている。地味といえば地味だ。ところがこれがめっぽう心に残る。 ライフスタイル・マガジンというと、森ガールだのモテカワだのなんかほんとどーでもいいカテゴライズに毎回イライラしどうせ代理店がらみでしょ、といらぬ背景探りに走るものと自分の中ではカテゴライズされている。女性誌ほとんど手に取らないので例えが古くてすみません。 そんななかで『生活考察』は決して“ある種”ではなく本寸法と思う。 自分の足下を見て、堅実かつ丁寧に生きていこうと思う。 どうせこの先、生きていてもいいことないもんね、べつに明日死んでもいいんじゃね、という不遜な態度を恥じる。 考察すべき事柄は、世間にあふれているぞと教えてくれる。 希望、というのではない。おまえちゃんと日々考えろ、という叱咤激励だ。 より現実的で届きやすい。 またこの雑誌は辻本力さんという、ひとりの編集者によってつくられているのも驚きである。あらゆる職業の人にひとつのテーマ、しかも「生活」という一見伝わりにくいテーマについて各々の個性を出した文章を書いてもらうという、その編集力に脱帽する。編集者を挫折してライターに逃げた己を顧みざるをえない。 長大な文章を読むのに長大な時間がかかり、小説を読めず、評論のたぐいは受験を思い出して目眩がする身にとっては、ひとりひとりの文章が短いのもありがたい。 日々をだらだら過ごしアタマがゆるいダメ人間には、うってつけの雑誌なのである。 いや、辻本さんはそんな人間向けにはつくっていないと思うけれども。 白状すると熟読したのはまだ半分強で、残りは斜め読みなのだが、ずっと手元に置いて読み返したい雑誌である。今後の予定では、年に3冊ということだから、次が出るまでじっくりと読みたい。 週刊になってまだ5週目というのに、クオリティがだだ下がりの当ブログ。もう今週はなんも書くことない、なんも考察してない、日々のちょっとした思いはツイッターで出し尽くした、ってかアタシの生活なんて140文字ですべて終わるんじゃね、と挫折しかかっている。 いかん、と思う。 生まれて生きて死にました的人生では、いかんと思う。 毎日はたぶん無理だけど、1週間に1回、日々のことを書くために心に留めたいと思う。 おまえ、ちゃんと、考えろって。 #
by tetsuyome
| 2010-06-13 13:42
| 身辺雑記
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