|
四谷三丁目の交差点近くに、宮子書店という小さな本屋さんがある。
いわゆる町の本屋さんというたたずまいで、この地で開業して100年超という古株だ。入口右に旅行ガイドや地図、次に新書、実用書、文芸書と続く。中央は平台に新刊の単行本や雑誌、棚には文庫。平台には今ではあまり見かけなくなった墨と朱の毛筆で書かれた短冊がかけられている。 文庫棚ではときどきポップも立てずにこっそりフェアをやっていて、『3億円事件』とか『東電OL殺人事件』とか新潮文庫の一連のノンフィクションが勢揃いすることがある。そこで買った『凶悪 ある死刑囚の告発』という文庫は、かなり恐ろしい本だった。 左はゲーム攻略、マンガが厳選されて並び、今月の新刊情報がとても読みやすい手書き文字で貼り出されていて、いつも参考にする。マンガにはビニールを巻いていなかったが、度を超えて立ち読みするお客さんは見たことがない。 店内の隅々まで気が配られ、本の並びに乱れなく、たいそう心地良い。 今からちょうど2年前、取材をさせてもらった。 町の本屋さんにおすすめの本を紹介してもらう、という取材で、アルバイトのIさんが対応してくれる。事務所にお邪魔すると、りんごジュースが出てきて、思わず「わあーりんごジュース、ひさしぶりです」と言う。Iさんは「社長からりんごジュースをお出しするようにと指定がありまして。なんか町の本屋さんて感じですよね」とにっこりする。このとき、わたしの心は射貫かれた。いい、やっぱ宮子書店いい。 Iさんは『つむじ風食堂の夜』(吉田篤弘・ちくま文庫)を紹介してくれて、月舟町という架空の町が舞台のその小説に、宮子書店のきりりとしてのんびりもしている雰囲気がとてもよく似合っていて、そのセレクトに感心した。 のちに原稿を書いて、その掲載誌が発売になって挨拶にうかがうと、りんごジュースを指示した社長さんがいらっしゃって、「あなた、とても文がうまいねえ。感心した。いやいやお世話になりました」と言われて赤面した。 その社長さんが体調不良で治療に専念するため閉店したのを昨日知った。 2週間も経っていた。そんなことしてもどうにもならないのに、なんかいろいろ自分を責めた。もっとまめに通っていたら、絶妙の文庫フェアをこっそり開催するIさんや、新刊マンガ情報を美しい文字で書いてくれる女性や、りんごジュースの社長さんにお会いすることができたのに。ありきたりな後悔を、じめじめとした。 ほんと、いい本屋さんなんだから。 立春前日、陽にあたって餅を食べながら、いろいろ思い出す。
震災以降、一度も募金をしていない。
直後は世の中の空気にならって募金しなきゃって勢いづいたけれど、いろいろな報道を見聞きしていくうちに、なにか違うと思い始めた。お金出したことで安心して、それで終わりでいいのかと思ったりした。いまだこのことに対しては、もやもやとした気持ちをもったままでいる。 なにか違うと思ったのはたぶん、宮古・気仙沼・石巻といった土地に以前行ったことがあるからだと思う。 宮古で食べた生ウニとか、気仙沼で食べたイクラとか、石巻で食べた海鮮丼とか、こう書くと喰いもんばかりなんだが、そこを走っていた鉄道や接した人たちのことを、あの日まず思った。その後、被害を受けながらも一時期無料で一部区間を運転していた三陸鉄道、あの夜何度も画面に映った火の海の気仙沼、かろうじてなんとか残った石巻の石ノ森漫画館の宇宙船みたいな建物などが、報道で伝わってきたけれど、それらはどこか異次元のことのように思えた。一度、この足で歩いたはずの土地のことなのに、だ。そしてそのまま異次元のこととしてすましてしまうのは、なにか違うと思った。 だから現地に行ってみることにした。震災から7カ月が経って、見聞きする情報は少なくなり、なんとなく当初よりは事態が上向いて、ボランティアでもなく働くでもない、分類からすれば観光客が行っても、大迷惑にはならないんじゃないかと思った。というか、思いたかった。でもそれなりに衝撃を受けるだろうから、行くにあたっては「泣かないこと」を目標とした。たった一度来ただけの観光客がふらふらと再訪して、勝手に、一方的にめそめそしていいわけがない。図々しいというものだ。 結果として目標は達成されたが、それはあまりの光景に己の感情が吹き飛んだからだ。 以前はこうだったのにという懐古や、それに続く絶望や、やり場のない怒りや、そうしたあれやこれやの感情はすべて、現場から去ったのちに襲ってきた。でもまだ涙は出ない。涙が出る段階に至っていない。 行ってよかったとは思う。 ひとつひとつの土地にいたのは、本当に失礼なくらいに短い時間で、何がわかったんだと言われればたぶん全く何もわかっていない。直後ではなく7カ月も後に来て、何を衝撃受けてるんだと言われれば、返す言葉もない。 でも、少なくとも、まるで人ごとではなくなった。 未だ水没したままの更地にしゃがみこんでいた黄色い長靴をはいた女性や、日本酒を売ってくれたお母さんや、そうした人たちのことを、これからは思うことができる。具体的に思い浮かべるものがある。 何をしたらいいのかわからない、という思いはきっと、震災の被害があまりに巨大で想像を超えて茫漠としているからじゃないだろうか。ほんの一部でも、自分の目で見て、耳で聞いて、鼻でかいだにおいは、具体的で記憶に留まる。記憶に留まったからといって、何かできるわけではないが、いやできる人もいるが、自分の体験を基にものを言うことができる。想像だけでものを言うよりは、かなりいい。 わたしは活動的な人間ではないし、雄弁に語ることもできない。せいぜい文章を書くことができるくらいだ。だから書く。今の気持ちを、この先忘れないために、こうして書いておく。忘れないことくらいしか、今の自分にできることはない。 ![]()
「父親としては娘には年をとって欲しくない気がするけど、それがなぜだかは判らない。それにつれて自分の年齢を自覚させられるからか、純粋に娘に若いままでいて欲しいと願っているのか。自分でも不思議な感覚だ。」
という父ヒロミからのハイレベルロマンチストなメールを受け取った。 父の願いもむなしく、確実に時は刻まれ、本日わたくしは四十になった。 近年になく清々しく心躍る気分でいる。 三十代はあまりに放埒だった。 二十代に働いたといえば働いたが、それにしたって弛みすぎている。 これからの十年は、人の暗闇にきちんと目を向けられるようになって、できればそれを文章で書き表したい。沈むでもなく、煽るでもなく。いたって冷静な視点で。熱情を隠しつつも決して忘れず。 たのしー美味しいーしあわせーな文章は、もういいと思うんだ。そういうのは、もっと若い人が書けばいい。 思慮深く慌てない人間になりたい。 でもとりあえずは血圧を下げなくてはならない。 なにはともあれ。
四国へ行ってきた。
東京に住んでいると四国ってあまり馴染みがなく、なんかこれといったイメージがないかもしれない。 今年は大河ドラマで坂本龍馬をやっていたり、なんとか芸術祭みたいなのをやっていたりするけど、そういうものに興味があるわけではなく、いつもどおり、ただ鉄道に乗りたいだけである。 四国は思っていたより近い。 東京から新幹線で岡山まで3時間半、瀬戸大橋線に乗り換えて30分ほどで香川県だ。 香川(讃岐)から、各方面に路線が広がっていて、今回の目的は、予讃線(伊予《愛媛》と讃岐をつなぐ)と土讃線(土佐《高知》と讃岐)、そして予土線(伊予と土佐)。予讃線と土讃線は、岡山からの直通の特急が走っていたりして、比較的短時間で回ることができるけど、予土線はいささか隔絶されていて趣深かった。 車両の特長といえば、メインカラーは水色である。 そして、特急、各停に関わらず、アンパンマン列車の頻度が高い。 作者の故郷が高知のためで、1両編成の無骨なディーゼル車の先頭にメロンパンナちゃんのプレートが掲げてあったり、車両まるまるアンパンマンのゆかいな仲間達がラッピングされていたり、アナウンスが戸田恵子だったり、駅到着音楽がアンパンマンマーチだったりする。 正直なことろ、アンパンマンにとくに思い入れはなかったのだが、これが。いざ出会ってみると。 たいそう心をつかまれた。 ものすごくかわいい。 そんなわけで、近年の鉄道旅のなかでは、鉄道はもちろん、食べもの的にも、お土産的にも、かなり充実した満足旅だったので、旅の記録を残しておきたいと思うのだが、まずはとりあえずアルバムのリンクを貼り付けて、今回はお茶をにごす。 このアルバムをつくったところで力尽きたという話もある。 ↓ http://gallery.me.com/kerokerori#100002 近日公開。 待て次号。
|